【理由3選】宮脇信介が日本フェンシング躍進の立役者と言われる訳は?

宮脇信介 フェンシング 躍進 立役者 宮脇花綸
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パリオリンピックでは、フェンシングの日本勢は、金:2、銀:1、銅:2の5つのメダルを手にしました。

じつは、オリンピックにフェンシングで日本選手が初出場した1952年大会から、パリ大会前までの72年間で得ていたメダルは、3つのみ。

そう考えると、このパリ大会は、大躍進でした。

その立役者は、選手である宮脇花綸さんの、父親の信介さんとも言われています。

んー、お父さんが何かしてくれたのかな?

お父さんとしてではないんだけど…。調べてみたので、見てみましょう。

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宮脇信介氏 フェンシング協会理事に就任

日本フェンシング協会は、2013年に架空領収書による助成金の不正受給が発覚し、理事20名が退任

2014年に、当時、協会の副会長であり、大学のテニスサークルの後輩でもある、山本正秀さんに「協会を立て直してほしい」と請われて、理事に就任しています。

花綸さんや、お姉さんもフェンシングの選手であったため、ひと肌脱いで協力しようと思ったのでしょうか。

日本勢躍進の起爆剤は、宮脇信介氏と太田雄貴会長(当時)と進めた改革!

その後、17年からは、当時会長であった、太田雄貴さんに請われ、常務理事に就任し、タッグを組んで改革に臨みます。

改革その1:資金調達力の強化

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